『「晋山結制」は総合力の賜ものです』
(正峰*第22号)
この度、「晋山結制」を無事に成就させて頂き、この一大事業に御参画をして下さり、御支援・御協力を賜った多くの方々に、心からなる御礼を申し上げ感謝の表明とさせて頂く所存です。
さて「晋山結制」とは特別の宗教行事ですが、一語で述べるなら「住職の世代交替」、先代の住職から後輩がその名跡をお引き受けするというものです。
その儀式たるやなかなかに荘重なもので、新住職は複雑な形式作法に従って儀式を進める中に、桃源院の場合には450年もの歴史の重み、それにも増してお寺の存在している社会(コミュニティ)と住民の心の支えとしての寺の位置。
住職はその中心に居るのだと言う重責をひしひしと感受して行くのです。
曹洞宗では、伝統的な式典形態が定められていて一つ一つの作法にも深遠な意味があります。
仏教人として一期の責務を自覚し、住職として公認される式典、折角執り行うのなら厳正にやって見たいと考えたのです。
宗務庁という本部が発行する立派な教則本もありますし、何度か諸先輩の例も知っています。
計画を思いついたのが3年前、本腰を入れて準備に掛ってからからも2年以上を要しています。
周囲にも話し計画を進める程に、初めには考えも及ばない程大変なものだ、という事が次第にわかってきました。
自分が是非こうしたいと先ず強固な意志を持つことが必要。
経済的な負担のことも含め、お寺の内的状況が実施可能でなくてはなりません。
それにも増してお寺を支えて下さる周囲の方々の気持ちを結集し、次第に自分と同様に高揚させて“巨大な総合力”に盛り上げられるものかどうか。
極めて重要な決断の要件となるものです。
お寺が所属している曹洞宗門内の御厚志と協力、檀家や護持会の方々からの支援と熱望、地域社会からの信頼と期待、そして身内縁者よりの理解が得られなければなりません。
「晋山結制」の期日が迫るにつれ、準備を進行させる間にも問題等が次々と発生し。
何処に原因があるのか、忍耐強く対策をたて一つ一つ収集して行くほかはないのです。
俺は偉いことを始めてしまった、悩みや焦りが頭をもたげます。
然しもはや引き返すわけにはいかない、「これは桃源院・寺檀の熱望なんだ、そして何よりも仏法の意志だ、何としても成就させなければならない!!」と自らを叱咤激励して勇気を奮い立たせ精進を続けました。
白熱電灯や蓄音機を発明したトーマス・エジソンや、初めて人間が空を飛ぶ道具・飛行機を造ったライト兄弟など、19世紀の偉業とは個人に依るものが沢山ありました。
でも工業・経済の高度に発達した20世紀以後の偉業の成功は人々の総合力が鍵となりました。
例えば「人類初の月面着陸」をやってのけたアポロ11号の計画に直接関係した技術者の数はなんと20万人を越えると言われています。
譬喩が突飛過ぎるかも知れませんが「晋山結制」はこう考えると実に現代的であり、お寺を中心に多くの人々の心と労力の総合力が結集されつつあるエネルギーをやがて実感するようになってきたのでした。
私自身は宮城県松山に生を受け育ち、やがて仏門に入ったのですが、修行時代も含め郷里を離れての生活が相当の長きに及びました。
殊に東京多摩地区に別院を開基させたこともあり又、本院住職だった父の健在だったことも預かって半生の大部分を東京で過ごし、松山の郷里のことをやや怠っていたことを正直認めます。
今回の計画を推進する中でその点に気が付き、もっともっと松山に通い、身心共に郷里への帰還を心がけなければと考えて実行しています。
今回、改めて住職の責任の重さと慮り。
本院・松山が文字通り自分の新布教区と考え、お近づきを深めたいと思っております。
2005年の日本、まずは平和の内に新年を迎え、人々の生活も世界の水準の中での満足度は決して低くはありません。
ですが、自然災害の多い我が国の場合、阪神淡路のような大震災や昨年11月に発生した中越大地震のような大災害は、決して他所の問題ではありません。
更に、日本の近くには北朝鮮や中国のように付き合い方のむずかしい国があります。
それぞれに別途の問題があって決して気を緩めるわけには行きません。
「治にて乱を忘れず」という古い諺がありますが、私達日本人の心がけとして油断大敵なのです。
「晋山結制」を円成させることが出来て、久しぶりに解放感に浸れたお正月でしたが、多くの親しい方々の御厚意の有難さを心から身に沁み感謝しています。
その人々への信頼にお応えするためにも、一層精進努力して人間として尚一層の修養を積み、住職としての責務を果たしたい考えです。
合掌