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『見失ってはならないもの』

正峰*第25号

日本は終戦から六十二年、その終戦から六年後に生まれた私は
「自己責任」と言う言葉を、漬物石のように頭の上に乗せて
自分の人生を歩いてきた。
その時は、店頭に並ぶ食品を自分で見る事ができ、触ることができ、
匂いをかぐ事もできて、自分で良いと思えば買うという方法を、
祖母や親から教わった。

行商のおばさんが売りに来る魚も「眼」を見る事によって、三枚に下ろして「刺身」にするか、焼き魚にするかを決める。
豆腐でも触ってヌルッとしてたり、酸っぱい臭いがすれば、買ってはいけないとか、ゴボウやフキ、そしてハス等はアクを抜く・・・・とか、
祖母や親から教えてもらった。

しかし、現在の日本のスーパーマーケットの食品売り場では、触る事も、匂いをかぐ事も、そしてなかには見る事も出来ないパック済みの食品が山ほどある。
だから、一般市民を守る為に『決まり』で「賞味期限」や「消費期限」、「生産地」そして「内容証明」等のラベルを貼るか印刷してなければならないと平行してなったが、どうだろうか。

この『決まり』によって一部の人々は消費者を欺く「嘘つき」となり、
何十年もお金のために消費者をだまし続けたのである。
その上、「嘘つき」は、国民の前で「ご先祖様に申し訳ない」と言って謝っていた。
これはやはり先に「消費者様に申し訳ない」と謝るべきだったろう。

一般市民は、もうすでにありとあらゆる食品に記載されている内容のみを信じて食べるほど頼り切っている。

衣・食・住で一番大切な「食」である食品が、知らない間に「製品」と変わり、
これが日本の食生活を変えたのである。
いったい日本はどうなって行くのだろうか、「食」だけではなく「衣」も「住」も「製品」に、「教育」も「医療」も「製品」に、このままなら間もなく個人の自由と自己責任のないガンジガラメの硬化しきった「期限切れ」の国になってしまう。
このことは今の日本の全てに言えるような気がする。

現在、毎日の生活はほとんど自分で選べない、自由が利かない、レールに乗せられた生活である。

一時は最新国であった日本が、世界の目に「期限切れ」とならないように、
貴重な縁でこの地球に生まれた私たち。
眼・耳・鼻・舌・身この五感を、風に大地に全てに精一杯感じながら自由な人生を、この二〇〇八年に全力で生きて生きたいものである。

合掌

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