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『人のお役に立つこと』

正峰*第23号

昨年は当、桃源院にとりまして、真に一大行事、一生に一度の大法要が行われました。更には住職の晋山結制、私の退董(退任)式には檀家の皆様方の厚き御協力を賜りまして誠にありがとうございました。東堂(隠居)となっても、住職の手助けをしている日常は特別に変わったわけではなく、健康の許すかぎり日々の寺務について忙しく立廻れることを有難く思う毎日です。

お寺の重要な仏事は勿論住職が先に立ってやることは当然ですが、私のやる仕事は檀務の一部と檀家や当院の在る松山町・他の地域との連絡事項諸般です。大本山総持寺を開かれた螢山禅師は檀家を大事にしなさいと言っておられますが、菩提寺と檀家は親密な絆で結ばれることが大事だと言うことです。曹洞宗の発展と寺門の興隆の基礎になるからだということです。
檀家とは梵語でダーナ、漢字にすると檀那施すということであり3000年も昔の印度の言葉の檀那は現在日本の言葉になっております。

檀那様は家の人々には勿論世間の人々にも施しをするのが檀那様です。施しをしないと檀那様ではなく家の宿六ということになります。檀那寺(菩提寺)は檀家の人々に仏様の教えを説きあかして上げる、これは法施であり、檀家は檀那寺のためにお金を出す、これは財施であります。
永平寺を開かれた道元禅師は「その布施とは貪らざるなり」と教えられました。施しをするときの心構えは物を惜しまないことであるとお示しになっております。欲深い心をなくすることであります。人間は生まれながらにして本能的な貪欲があります。食欲に従って行くと人間は「我利我利亡者になり」自分さえよければ人はどうでもよいということになり兼ねません。欲望には際限がないからに他なりません。

 思うこと一つ叶えば また二つ
  三つ四つ五つ 六つかしの世や

と古歌にあります。
世間の罪悪の根源は貪欲であります。
困っている人に施しをするときは物を惜しまず、心から施しをすることが大切です。
「仏心は大慈悲心これなり」とあります。
み仏を信じている皆様は情深い、仏様の心で施しをして下さい。
次に「その物の軽きを嫌わず、その功の実なるべきなり」とお示し下さっています。
私達が施しをするとき大切なことは施す物の多い少ないではない、ほんの僅かな物でも心から相手の為になるように施しをする。相手が困っているときは相談にのって上げる、励ましてあげるのも布施であります。
親切な暖かい心で相手の立場になっての心からの励ましは困っている人に大きな力を与えます。
昔から「長者の万灯より貧者の一灯」とあります。私も永年保護司や生活相談員をしておりましたが、生活に困っている人、病気で困っている人、身体障害で困っている人たちから色々の相談を受けますが、日本では色々の社会福祉制度があるので、これを利用するように教えてあげます。これは現代的な布施であります。
私は皆様にあげるものがないので本日は御馳走のお話をしましょう。ある所にお爺さんとお婆さんが住んでいました。お盆近くになると隣の家でポッタンポッタンとお餅をつく音が聞こえてきました。お爺さんが「お婆さんや隣の家でポッタンポッタンと餅をつき出したよ。お昼のご飯の仕度をしないで待ちましょう」と言って隣からお餅の来るのを持っていました。しかしいつまで待っても隣からお餅は来ませんでした。そこでお爺さんはいいました。「隣で餅つく杵の音を出さないでくれんかね婆婆さま」常日頃隣になにかあげてあると隣の家でも隣のお爺さんたちはお餅をそんなにつかないであろうから、暖かいうちに持って行ってあげましょう。ということになります。食べ物の怨みはこわいですよ。顔が合っても、物も言わないようになります。毎日顔を合わせる隣とは仲良くしたいものです。「み仏を信じ信心厚き皆様み仏の心になり布施の願行をして幸福な家庭を作り少しでも世のため人のためになる行いをして下さい。ありがとうございました。

合掌

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