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『桃源郷の桃源考』

正峰*第26号

晋の太元年間(376年~396年)、武陵(湖南省)に一人の漁師がいた。
ある日、渓谷に沿って船を漕いで上流にたどり着いた頃、突如、桃の花が咲き乱れる林が一面に広がった。
その香り、美しさ、花びらの舞い落ちる景色に心を魅かれた男は、その奥を探ろうとしてさらに桃の木の中を遡り、ついに水源に行き当たった。
そこは山の壁面になっていて、壁に人が一人通り抜けられるだけの穴があった。
奥から光が見えたので男は穴の中に入っていった。
山の穴を抜けると、驚いたことに山の向こう側は広い平野になっていたのだった。
そこには家も田畑も池も水路も広がり、長閑でたいそう美しい村だった。
行き交う人々は昔風な衣服を着て、老若男女は微笑みを絶やさずに働いていた。
牛は丸々と太って働いており、犬も鶏も楽しそうに駆け回っていた。

この見慣れない男に村人は興味深そうに話しかけてきた。
男は武陵から来た漁師だと言うと村人たちは驚いて、家に迎え入れ鶏を料理してたいそうなご馳走を振舞った。
村人たちは男にあれこれと「外の世界」の事を尋ねた。
そして村人が言うには、彼らは秦の時代の戦乱を避け、村ごと逃げた末、この山奥の誰も来ない地を探し当て、そこを開拓してきたのだと。
それ以来、決して外に出ず、当時の風俗のまま一切の外界との関わりを絶って暮らしていると言う。
彼らは「今は誰の時代なのですか」と質問してきた。
驚いたことに、ここの人たちは秦が滅んで漢ができたことすら知らなかったのだ。
ましてやその後の三国時代の戦乱や晋のことも知らなかった。
その後、数日間にわたって村の家々を回り、ご馳走されながら外の世界のあれこれ知る限りを話して聞かせた。
いよいよ自分の家に帰ることにして暇を告げた。
村人たちは「ここのことは外の世界で話さないほうがいい」と言って男を見送った。
山の穴から出た男は自分の船を見つけ、目印をつけながら川を下って家に戻り
この話を役人に伝えた。
役人は捜査隊を出し、男のつけた目印に沿って川を遡らせたが、村の入り口である桃の林もあの穴も見付けることはできなかった。
その後何人かがあの村に行こうと試みたが、誰もたどり着くことはできなかったのです。

以上が陶淵明の「桃花源記」の桃源郷であります。
その自然の中で嬉々としながら悠然と生活する住人の姿があります。
この中国の古い時代の陶淵明にとってもこの「桃源郷の村」は望ましい理想世界のあり方だったのです。
古い時代の当時の中国でも住人たちは権力によって税を取られたり、労役を課せられたりする恐れなく、自分らの意に従って悠然と暮らしている。
この悠然自若に暮らすことができる村「桃源郷」(彼岸)が「この世」(此岸)への強烈なアンチテーゼになっているような気がします。

昨年来世界はこの未曾有の経済危機に陥っていると報道されています。
そもそも資本主義社会とは賭博の世界であると物の本で読んだ記憶があります。
資本主義はその構造として、投資と投機を必要としています。いわゆる資本であります。
資本がゼロでは資本主義は成り立ちません。投資とか投機はその対象が成長するであろうことを期待して行われますが、意に反して縮小するかもしれない。
すなわち勝つか負けるか分からないものに投資や投機をするのです。
いや「私は株や土地や商品への投資もしていない」という人がいたとしても、その人のお金を預かっている銀行や年金基金や保険会社等々が代わって投資や投機をしているわけで間接的には参加していることになります。

ここに来て、この資本主義という賭場が崩壊しようとしているのかもしれないと警告する学者も現れてきました。
社会は発展すればするほど複雑になってくる。
複雑な社会は必ず制度疲労を起こし、その解決の膨大なエネルギーを必要としてくるがその見返りは限りなく小さくなってくる。
たとえば、膨大な投資と投機で大きくなった自動車製造会社が昨年後半から莫大なエネルギーを使って車を作っても、利益を出せないばかりか赤字に転落していることがその証明かもしれません。

古代の中国の陶淵明でさえ当時の実社会と対極の価値観の悠然自若な村「桃源郷」を夢見たのです。
現代はなお当時の中国の実社会と比べ物にならないくらい複雑になっています。
このギャンブルまがいの金の社会、交通や通信、情報など便利なものが多くなり、またそれとともに多くの規制が作られていきます。
物・金と名誉や地位への執着。虚飾の見栄も多くなってきました。がんじがらめの社会です。

そろそろ、自分と人間社会、大地、宇宙と何か関わりがあることを実感して、
共存する喜びを感じるということに価値観を見出すことに目を向けてもいい頃かもしれません。


合掌

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