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『彼岸と此岸(ひがんとしがん)』

正峰*第27号

今日も数件の法事の依頼がありました。
毎週土曜、日曜日は当院では多くの法事を執り行います。
法事とは先に彼岸(あの世)へ逝った最愛のあの人の菩提を此岸(この世)から荘厳するために行います。
わかりやすく言えば、目に見えない彼岸(あの世)で仏に成るべく修行しているあの人に此岸(この世)から応援するのです。

さていつ頃から人間は目に見えない彼岸(あの世)を認識し始めたかというと、ネアンデルタール人の洞窟から埋葬の痕跡が発見されています。
イラクのシャニダール、クロアチアのクラビナやイスラエルのケバラ洞窟から見つかっています。
これを二十世紀の考古学の最高の発見とか、これば人類の文化の始まりと言う学者もいます。
およそ七万年から十万年前ぐらいから人類は死者を葬送していたのです。
「葬」という字は死者の体の下に草を敷きまたその体の上にも草を掛けると書きます。
遺跡から発見された埋葬はネアンデルタール人が彼岸(あの世)を認識していなければ到底出来ないはずです。

人間に一番近いとされるチンパンジーは、どう教えてもあの世を認識出来ないそうです。
子どもが死んでも、仲間が死んでも葬送や弔いが出来ないのです。
進化した結果、人間だけがあの世を発見したと言っても過言ではないでしょう。

「創る」という他の宗教とは違って、私たちは「成る」宗教と言われています。
成人は大人の仲間入りをして、ますます精進して立派な大人になるという節目です。
成仏とは仏様の仲間入りをして、ますます精進して立派な仏様になるという節目です。
お釈迦さまは大宇宙を創造した訳ではありませんし、人間や数え切れない生物を創りだした訳でもありません。
お釈迦さまは人間として生まれ、地位も約束され、結婚もして子どもも生まれました。
しかし人生の悩みを解決しようと家庭を捨てて修行の道に入り、悟りを開かれたのです。


お経に「此れ有れば彼有り。此れ有るによって彼生ず。此れ無きによって彼無し。彼滅するによって此れ滅す」小部経典『自説経』<1、1‐3>とあります。
彼岸(あの世)が此岸(この世)を動かし、逆に此岸(この世)があの世を動かすと言うのです。


この頃、残忍な殺人事件が増えています。その基本には「死者」を「死んだらチャラ」などと言って「死者」を物扱いする人が少しずつ増えているためのような気がします。
唯物主義の考えの人や「宗教」を認めない国家の国民のように「死んだらチャラ」では困ります。
人の死よりも現世の利益(お金)を優先する行為に走るようでは本当に困ってしまいます。

さて曹洞宗の在家葬送の回向の中に「・・・一路涅槃の経に入らしむ・・・」とあります。
これは此岸(この世)から彼岸(あの世)にこれから行きますが、これはお釈迦さまの悟りに、涅槃寂静(ニルバーナ)に近づく成仏の道を歩まれ始めるのですよ。と言う意味です。
そして、早くお釈迦さまと同じ悟りまで至って下さいと祈るのです。
私たちは仏に成れるのです。いや成るのです。
人間から仏に成られたお釈迦さまが証明されました。
私たちもお釈迦さまを見習って皆で手を取り合って仏に祈るのです。

他の宗教で「私は神に成る」と言ったら、笑われるか、あるいは戒律のきびしい宗教なら、死刑になってしまうかも知れませんが、私たちは仏に成るのです。
人間と仏がきっちり繋がっている東洋の高等宗教と言われる所以がここにあるのです。

合掌

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