桃源院の歴史
縁起
縁起
本院
創立は、約450年前の天文13年(1544)室町時代で、
後奈良天皇の時代になります。
開山は、山形県米沢市万世町梓山、
松林寺三世・一華宗甫和尚で、
開基は13代・茂庭左月良直といわれています。
最初、茂庭氏が福島市飯坂町茂庭に居住した時
東原寺を建立しましたが、
その後に米沢在川井に移り、桃源院を建てました。
これが現在の米沢市川井の和合山桃源院です。
安政6年(1859)建立の文覚上人遺址碑と文覚上人垢離(こり)の池があり、
人工の池でありながら今でも水がかれることがありません。
昭和45年に遠藤家の770年法要があり、石燈の記念碑が建てられました。
本尊は、聖観世音菩薩で、堂内には弥陀の来迎三尊仏がまつられております。
当寺には、松山初代良元の姉君、お南の方法名「月窓妙光大姉」のお墓があり、
五輪の塔の台座を御奉納とありますが、今は残されておりません。
また、領主2代定元息女で、原田甲斐宗輔長男帯刀宗誠の妻「辰」の墓もあります。
幕政期、茂庭家の当主は毎年正月11日石雲寺にある歴代の墓に参詣し、
ついで桃源院の「古左月君之御影」即ち、
左月良直像に焼香するのが例であったと記されていますが、
今はその御影は残されていません。
また、桃源院には宮城県松山町出身の洋画家「渡辺亮輔」の墓もあります。
東京別院
『昭和57年(1983年)11月に
「桃源院東京別院」が創建されました。
都市開教の目的で曹洞宗の寺院が少ない
多摩の地に新しく開かれました。
(山号「延命山」・本尊「聖観世音菩薩」)
「法輪転ずれば、食輪全うす」
(正しい教えを一生懸命布教すれば、
あとはどうにか生きていくことは出来るものだよ)、
という言葉を座右に置き、爾来18年の活動が「日野桃源院」の今日の発展に至ったのです。
日野桃源院の開山は桃源院本院第32世奥野泰彦師であります。
その弟子らが師の指導のもと都市開教に励んでいます。
米国ハワイに「桃源院ホノルル別院」を置くなど、
現代にあるいはもっと先を見据えた仏教を実践しているお寺であります。』